2007.04.06
ハーベストパントリーを支えるフードドライブ
セカンド・ハーベスト・ジャパン(2HJ)は、ハーベスト・パントリーという支援プログラムで47人の子供を含む100人近くの方に食料を毎週送っています。この、貧しい人たちに必要とされている、保存の利く食料品の大部分の供給源となっているのが、学校や企業それにさまざまな団体が行っているフードドライブです。日本では65万人以上の人が毎日の食料を手にするのに困っている現状を考えると、フードドライブは、その規模の大小にかかわらず、この貧困を緩和するために重要な役割を果たしています。
東京韓国学校で英語教師を務めるマーク・バレンズさんは、1年生から6年生までの生徒と一緒にフードドライブの計画に携わりました。この5日間にわたるフードドライブには約450人の生徒が参加しました。生徒がやる気を起こし、熱意を持てるように、先生たちはある目標を掲げたのです。それは、もし生徒が500品以上集めることができたら、先生たちが生徒みんなの前で日本語の歌を歌い、逆に、500品に達しなかったら、6年生が英語の歌を舞台上で歌う、というものでした。
結果は、1,100品を超える食料を集めることができ、バレンズさんは「このフードドライブに従事した人はみな、大成功だったと評価しています」と報告してくれました。「食料を寄付することで、困っている人の生活に何か変化を生じさせることができるということに生徒は気づいたと思いますし、それに、豊かな先進国にもお腹をすかしたまま毎晩床に就かなければならに人が多くいることも学んだと思います。」また、手伝ってくれた先生方も、毎日の食べ物に困っている人がいること、困っている人を助けることの大切さを感じたと話し合っていました。
フードドライはその多くが世界食糧デー(10月16日)に合わせて行われています。この日は、飢餓および貧困の問題を世界中の人にもっと知ってもらうために国連食糧農業機関が1979年に定めたものです。2HJのためにフードドライブを行い、同時に日本における飢餓の状況を知ってもらうには、世界食糧デーはまさに相応しい機会でしょう。
しかし、貧困の問題は一年を通して起こっています。フードドライブを企画するのに秋まで待つ必要はないのです。
(フードドライブを企画する上でのヒントや注意事項をお知らせします。以下をご覧になり、2HJに連絡ください。)
フードドライブを集めるにあたっては、ハーベストパントリーのコーディネーター、ミッシェル・ライアン(michelle@2hj.org)にご連絡ください。
フードドライブを企画する上での注意事項 [PDF]
文章:ミッシェル・ライアン
Link to News story »2007.03.06
ニュー スキン ジャパンが贈ってくれた時間と寄付金
「セカンド ハーベスト ジャパン(2HJ)について初めて知ったのは、3年ほど前にフジママスというレストランで食事をしていたときです。」こう語るのは、ロバート. S. コンリーさん。パーソナル・ケア製品や栄養補助食品を取り扱っているグローバル企業の一つである ニュー スキン ジャパンの社長を務めています。フジママス(2HJの長きにわたる支援者)で2004年に使われていた割り箸の包み紙には、日本における飢餓の状況や2HJに関する情報が印刷されていました。こうすることによって、お客さんが食事をしながら飢餓や2HJに関する情報を得られるように、ちょっとした啓蒙活動を行っていたのです。「素晴らしいアイデアだな、と思いました。その包みを家に持って帰って、机の上に置いて時々眺めていました。ですから、自分の子供たちの通うAISJ(アメリカン・スクール・イン・ジャパン)の行事で、チャールズ(マクジルトン、2HJ理事長)と初めて会ったときには、すでに2HJの活動ことを知っていました。」
コンリーさんは、ある土曜日の午後に、ニュー スキンの会員や社員と一緒に上野公園での炊き出しを手伝い終わった後にこう語りました。「私たちニュー スキンが行っている社会貢献活動では、”子供たちのために、より良い世界を創る”活動をしている団体への支援に積極的に取り組んでいます。2HJの活動はこの私たちの考えによく当てはまります。」なぜなら、ホームレスには2HJが提供する食料の約20%のみが届けられ、その他の大部分は、女性のためのシェルターや孤児院および貧しい家庭に届けられているからです。「私たちが日本で支援している団体は3つありますが、そのうちの1つが2HJです。もう1つは、子供たちを悩ます遺伝皮膚病の研究を行っている北海道大学です」と、コンリーさんは説明してくれました。
ニュー スキン ジャパンから参加されたボランティアの一人である山田美香さんは、ニュー スキン ジャパンと2HJがお互いにうまく関われるようにさまざまな調整をする一方、ご自身もこれまでに何度もボランティア活動をされています。社会貢献活動について伺ってみると次のように語ってくれました。「ニュー スキンビジネスに関わっていると、社会貢献活動はとても身近で大切な事だと実感します。なぜなら、私たちの会社や製品と関わった人たちが、より豊かになるよう人々に尽くすという理念「 Force for Good 」を実践すべく、日々誠実に努力しているからです。」既に、「ニュー スキン ジャパン Force for Good 基金」から2HJに1,800万円(月150万円)が提供されています。
また、ニュー スキン ジャパンは、財政的な支援だけでなく、日本で食料に困っている人に2HJが食べ物を提供できるように、ディストリビューター(会員)や社員がボランティア活動に参加することも奨励しています。ニュー スキン ジャパンから参加したもう1人のボランティア、コートランド・ピアソンさんは、500食以上を野宿者に提供する活動を手伝った後、今回の経験により「2HJの活動に関心を持つ人に対して感謝の気持ちで一杯になったし、またボランティアへの関心を持つ人がもっと増えなければならないと感じた」と語ってくれました。ニュー スキン ジャパンのような企業は、コミュニティに建設的な影響を与えています。
「一人ひとりの力は限られますが、それが集まると大きな影響を与える事ができる。セカンド ハーベストの活動と出会い、現状を知るだけでも、その一歩が始まるのだと感じています。」先述の山田さんの言葉です。
上野公園での給仕に笑顔で参加するニュー スキン ジャパンのボランティア
「東京に住んでいますが、このような活動に参加したのは今回が初めてです。とてもよい経験になりました。」(吉田明美さん、ニュー スキン ジャパンのディストリビューター)
2006.12.29
理事紹介:柴田耕作さん
「必要とされればどこへでも相手の笑顔を思い、届ける」
食料を提供してくれる企業と、その食料を必要としている人々。両者をつなぐ大切な役割を担っているのが、セカンドハーベストジャパン(以下2HJ)のドライバー、柴田耕作さんです。
週三回、千葉県市川市の自宅から、ミニバンで一時間余りかけて幕張にあるスーパーマーケット「コストコホールセール」へ。まだ十分食べられるのに、在庫が余っていたり、ラベルに印刷ミスがあるなどして廃棄されていた食料を、無料で提供してもらいます。
野菜や果物、パンにお菓子……。多い日は五百キロにも上る食品を黙々と車に積み、東京・浅草橋にある2HJの倉庫へ。さらに教会や児童施設、老人ホーム、さまざまな理由で生活に困っている人たちへ配達します。
「必要とされれば、どこでも行きます」と柴田さん。2HJが訪れた団体の数は、四年間で百カ所以上になりました。
「豊かと言われているこの国で、その日の食事に本当に困っている人がたくさんいることに驚きます。この食料が頼り、という人たちが多いので、どんなことがあっても休むわけにはいきません」
最も切実なのは、日本で難民認定を申請中の人々。ギリギリの生活を余儀なくされている十二家族に、毎週段ボール箱に二十キロほどの食料を詰めて宅配便で送っています。
「あそこの家族にはどんな食品が喜ばれるだろう」「この果物はあの人の好物だな」などと、いつも相手の笑顔を思い浮かべるそうです。
名古屋で暮らしていた十年前、柴田さんはマザー・テレサの修道院で炊き出しを手伝っていました。まだ食べられる食品が、スーパーやコンビニから毎日大量に廃棄処分されている「もったいなさ」。それを生かして何百人分もの食事を作ることができました。
四年前、東京で知人のチャールズ・マクジルトンさんから2HJを設立する話を聞き、「それは大事。がんばれ、がんばれ」と激励。当時、日本の運転免許証を持っていなかったチャールズさんの代わりに食料を運ぶ手助けをして以来、いつの間にかドライバーとして欠かせない存在になってしまったのです。
ふだんの柴田さんは短時間職員として、毎日午後六時から十時まで郵便局で働いています。2HJの活動は昼間のあいた時間に。車のガソリン代や宅配便代は会から支払われますが、あとは全くのボランティアです。「自分ができることをしているだけです」と、さらりと話しますが、最初の二年ぐらいは体力的にも精神的にもきつかったそうです。
「でも、一つ峠を越えると習慣になって、そういうからだになるものなんですね。今では、今日はどんな食料が出てくるかなあ、やっほぉー、こんなのが出たぁ、って。おもしろいから続けられているんです」
柴田夫妻は2HJの創設時から活動に取り組んでいる
愛車を買い換えるとき「会の活動に役立てたい」とミニバンを選んだのは、妻の精精(せいせい)さん。名古屋時代、そして2HJ設立当初から共に活動を続ける「最高の仲間」です。
「たくさんの人に出会い、いろいろな話を聞かせてもらいました。難民の方たちの話などは悲惨な内容が多くて悲しくもなるのですが、貧しくても家族が愛し合い、助け合っている姿を見たり、歌や踊りで大歓迎してもらったり……。むしろこちらの心が豊かになる気がします」と二人は口をそろえます。
最後に今後の2HJについて、柴田さんは「あまり急激に大きくさせない方がいい」と考えています。
「食料を扱うので、ボランティアにはデリケートな感性が必要。ただ送るのではなく、もらってくれる人との関係をゆっくり、着実に築いていく過程を大事にしたいです」
文章/写真:大原悦子
2006.12.22
運転手募集中:詳細はこちら
これまでの人生から学んだことが1つあります。それは、何事も起こるには理由があるということです。しかも、全く予期していないときに限って何かが起こるものです。
2006年の正月休みが明けて間もないころ東京ユニオン教会を訪れていた私は、礼拝後に地下室で開かれた分かち合いの会でチャールズ・マクジルトンとたまたま居合わせました。ちょうどフルタイムの仕事を辞めたばかりでした。伝統的な日本企業に勤めることに飽きていたのです。その数か月前には教会の結婚許可書に署名しており、結婚式の準備や自分の将来についての見直しで、精神的に疲れていました。さらに、奨学金に応募する準備も始めたばかりでした。愛する妻を連れて日本を出て勉強を続けたいと思っていたのです。そうです、その頃の私は新しい自分に脱皮する過程にあったと言っても過言ではないでしょう(笑)。何もかもが「宙に浮いたまま」の状態でした。1つだけ確かだったのは、何かの一員になって何か目的を持たなければならないと感じていたことです。つまり、それまでの生き方を変えて新しい自分になりたいと真剣に思っていました。そうすれば、10数年に及ぶ満ち足りた日本滞在の最後になるだろう残りの数か月間をもっとも有意義に過ごせるだろうと考えていたのです。日本に何か恩返しをするべきときだったのです。なぜそう思うかと言うと、今振り返ってみて、あの日チャールズと会ったのは単なる偶然ではなく、神様のお導きによる必然だったからです。
チャールズと2人で中華料理を食べながら2HJについての話しを聞きました。場所は、秋葉原駅と浅草橋駅の中間に位置する2HJの倉庫と事務所から通りを1つ隔てたところにある中華料理店です。2HJの仕事に真摯に取り組み、また、2HJの使命について真剣に考えていることがチャールズと話していて伝わってきました。気がついたら、「日本にいる残りの期間、運転手としてボランティアさせてください」と言っていました。そう言ってよかったと思っています。
セカンド・ハーベスト・ジャパンの活動範囲は止むことなく拡大し続けています。そして、日本における非営利のフード・バンクとしてその名が知られるようになってきています。今では私はその一員です。
それからの数か月間は平均して週に1度ボランティアをしています。朝、地下鉄に乗って2HJの倉庫まで行き、そこから2HJの車を船橋市まで運転し、冷凍食品の巨大企業であるニチレイの倉庫に車を止めます。そこでは、霜で覆われた、いろいろな形や大きさの段ボール箱に入った冷凍野菜数百キロから1トン分を車に積み込みます。それが終わると今度は、幕張にあるコストコへ向かいます。パンや果物や野菜などが入ったケースが山のように積まれ、私の到着を待っているのです。量がいつもより多いため、全部を車に積み込むのに頭を使わなければならない場合は、箱やケースの向きを変えたり、一度積んだ荷物の場所を変えたりしながら作業します。まるでテトリスをしているようだ、と別のボランティアに冗談で言ったことがあります。積荷作業が無事終わると、2HJの倉庫へ戻ります。運んできた食料はそこで仕分けされ、食料を必要としている難民やホームレスや孤児それにシェルターへ送られます。食料を初めて運んだ日から今まで、ボランティアとして働いていると感じたことは一度もありません。今では運転手としてだけでなく、週末にもボランティアとして参加していて言えることは、2HJには人を惹きつける力があるということ、それに、2HJは貴い目的を持って活動しているということです。ボランティアには笑顔があふれ、雰囲気は家族的です。毎回それまでとは何か違ったことがあるので、退屈することがありません。皆さんの中に、自由にできる時間と運転免許証をお持ちで、困っている人のために自分のことを勇気を持って少しだけ犠牲にしようという方はいませんか。そのような方はぜひ2HJに連絡してみてください。やりがいのある仕事の一翼を一緒に担いましょう。
文章:デイビッド・アダムズ
写真:カリン・スモリンスキー
2006.12.16
セカンドハーベストジャパンに食料を提供して3年 ハインツ日本
2003年の夏。ハインツ日本(本社・東京都台東区)の取締役ポール・モリさんは帰宅途中、路上に止まった一台のバンに「Food Bank Japan」の文字を見つけました。家に戻るやインターネットでそのホームページを探し出し、旧Food Bank Japan、現セカンドハーベストジャパンの代表チャールズ・マクジルトンとコンタクトをとったのです。
「私の出身国、米国では、大手の食品会社がフードバンクの活動にかかわるのは当たり前のことでした。日本にはなぜこのような活動がないのだろう、と不思議に思っていたところ、偶然団体のバンが目に入ったのです」とモリさん。早速、会社の経営陣にかけあい、食料を寄付することを決めました。
ケチャップやデミグラスソースで知られる食品会社、ハインツ日本は以来、缶詰やレトルト、冷凍食品など、月平均約350キロの自社製品をセカンドハーベストジャパンに提供しています。
「例えば、賞味期限が規定の日数以上残っていないと流通サイドに受け入れてもらえないため、まだ十分食べられる製品でも廃棄しなければなりません。おいしく食べてもらいたい、と作った製品が無惨に捨てられるのは、食品会社の社員にとっては何よりもつらいことでした」と同社のセルジオ・ソーサ社長は言います。それまで無駄に捨てられていた食料が、必要としている人たちの役に立つ。しかも、企業の側も貯蔵・廃棄などにかかるコストを削減できるのですから「みんながハッピーになる活動だと思います」。
アフリカ各地での勤務も長かったソーサ社長は、食料や飢えの問題には人一倍敏感です。先日、自らセカンドハーベストジャパンのボランティアも体験し、児童養護施設の子どもたちに野菜やジュースなどを届けました。将来的には同社の社員がみな、月に1回はボランティアとして活動に参加できるよう、態勢を整えたいそうです。
同社提供
「私の出身国ポルトガルでも米国同様、フードバンクの活動はとても盛んです。税制や社会システムもボランティア団体の活動をバックアップし、その結果22万人に365日、毎日2食の食事が提供されています」とソーサ社長。「この点では、ポルトガルは日本よりかなり進んでいます。外国で災害が起きると、すぐ援助の手を差しのべる日本なのに、自国内の貧しい人たちの問題は見えにくいのではないでしょうか」
セカンドハーベストジャパンとの偶然の出合いから3年。一人の行動が企業を動かし、その貢献によって何万という人々が空腹から救われることを、ハインツ日本は示してくれています。
文章:大原悦子
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